執着を捨てるということ

ようやく「執着」を捨てることの
意味がわかってきたので、
このブログに残しておく。
仏教では「執着」を持つことが
苦しみの原因と教えてるわけだけど、
「執着」を捨てるとは
どういうことか理解できなかった。
言葉の意味を理解するのは難しいのだ。
お金への「執着」を手放すには
お金の心配の無いぐらいの
資産を持てばいいのか?

女への「執着」を手放すには
サイバージャパンダンサーズ
みたいな、いい女を抱きまくれる
環境になればいいのか?

こういうことを長年考えてきたが、
ある時に腑に落ちた。
「執着」を無くすとは
頭の中に余白を作ることではないかと。
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価値観を植え付けられる

我々はある一定の価値観を
幼少期から植え付けられている。
・お金はたくさん持っている方がいい
・異性からモテる方がいい
・一流大学を卒業する方がいい
・年収の高い職につく方がいい
・大きい権力を持つ方がいい
・結婚した方がいい
・子供がいた方がいい
etc
などなどの価値観だ。
そして上で出したような
価値を手にいれる「べき」
と教えられる。
「~すべき」
この「~すべき」が曲者で
知らない内に我々の
頭に入り込み、
頭を埋めてしまうのだ。
頭のメモリを全て上記のような
価値を手にいれるために
埋めてしまうと、
人間は必ず不幸になってしまう。

これはなぜかというと、
人間の価値観は
自然の法則とは違うからだ。
【ヒトは何も持たずに生まれ
何も持たずに死んでいく】
↑
これが絶対不変の真理なのにも
関わらず、
金を増やすためだけの努力
してるのは滑稽だろ?
でも
「~すべき」
が脳に叩きこまれると
『お金はあればあるほどいい!』
になってしまう。
自分が不老不死で
永遠に金を使い続けられると
勘違いしてるようなものだ。
こういう価値観で頭を埋めずに
「~すべき」
を少しずつ無くしていくことが
大事なのだ。
「~すべき」
こそが執着であり、
我々を縛る鎖でもあり、
これを無くすことで
頭の中に余白が生まれる。
頭の中に余白ができると、
その空白地帯に
「心」のエネルギーが入ってくる。
「心」は自分がやりたいことや
出会いたい人をわかっている。
そして「心」の赴くままに
行動することが、
自尊心を高め、愛を知り、
幸せに生きることに繋がるのだ。

このブログを読んでくれた人の
幸せを願っている。
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おまけ

私の親族に、
一人の90歳を超えた老婆がいる。
現在寝たきりの入院生活で、
いつお迎えがきてもいい状態だ。
彼女はある創業社長の配偶者で
お金には全く困ってなかった。
それでも
『お金はたくさん持っている方がいい』
という価値観は変えなかった。
なんと60歳で年金を貰ってから、
一度もその年金に手をつけなかったのだ。
現在彼女には
動かなくなった『体』と
数千万以上に積まれた
手つかずの『年金』
そして
そのケチな心に愛想を尽かした『親族』がいる。
ほぼ誰も面会にいかない、
寂しい老婆になっている。
【ヒトは何も持たずに死んでいく】
↑
この自然の法則をわからず、
近しい人に何も与えずに
ケチに生きた人の
末路は寂しい
