陽の差さない部屋


~野村義樹・21歳~
「いただきます」
田原が後藤まいの脚を広げ、ゆっくりと性器を挿入しようとしている。
棚卸しの夜、朝日堂の二階は湿った空気に酒の匂いが纏わりついていた。僕は壁に背を預け、中澤由里子の柔らかな体を抱きしめながら、眼前で繰り広げられる光景を凝視していた。
まいの採用から三ヶ月足らず。彼女はもう、この「二階」へ連れてこられてしまった。「まいちゃん、痛かったらすぐ言えよ」穏やかな声の裏に、獣の欲が覗く。まいは酒に酔った頰を染め、息を乱しながら「野村さん…」と僕を呼んだ。その瞬間、鋭い罪悪感が胃の奥を掻きむしる。
彼女が僕に寄せていた好意。ささやかな会話や差し入れ、隣に座る控えめな距離─すべてが眩しかったはずなのに、今の僕はただの傍観者だ。
由里子が振り返り、胸を押しつけ囁く。「野村くん、まいちゃん可愛いね。さっき剃ったのよ、ツルツルでしょ」田原の指がまいの秘部を弄り、湿った音が響く。「店長……熱い…」震える声とともに彼女の体が跳ねる。田原が深く突き入れ、動きを激しくした。まいの喘ぎが途切れ、ついに熱い物が奥に注がれた。まいの体は、ただ小さく痙攣していた。
好意を裏切った自分を憎みながら、僕は由里子の熱に溺れ、快楽の余韻に浸っていた。
*
あれは、まいのバイトが始まる一ヶ月前のことだ。
ランチタイムが一段落した午後三時頃。店内は穏やかな陽射しが差し込み、カウンターが静かに光っていた。僕はいつものように食器を拭きながら、ぼんやりと窓の外を眺めていた。父親と田原が先輩・後輩の関係で勧められたバイトを、なんとなく続けている。特別な目標もなく、日々が淡々と過ぎていくだけ。そんな退屈な日常に、ふと小さな波紋が広がった。
その夜、二階で田原と由里子と三人で交わっている間も、昼間のまいの笑顔が重なって離れなかった。
僕はまだ知らなかった。
田原の過去の秘密を。由里子の隠された痛みを。そして、まいの笑顔の裏に潜む「嘘」を。
それでも、この甘く苦い泥沼から抜け出せない自分がいた。

*

~中澤由里子・37歳~
帰宅すると、夫はいつものようにソファでテレビを眺めていた。子供たちは既に自室で眠る準備を始めている。
夕食を片付けながら、田原の先輩でもある夫の背を見つめる。穏やかで真面目な、優しい人。だが結婚十三年、寝室は完全に別だ。愛されている実感はあっても、肌で確かめ合うことは何年もなかった。 もっと抱かれたい。必要とされたい─渇いた想いが、胸の奥でくすぶり続けている。
すべては、数年前の棚卸しの夜から始まった。
酔った勢いで田原と二人きりになり、魔が差して肌を重ねた。彼の熱い手が私を暴き、秘部を確実に開いていく感覚。それは夫には決して与えられない、激しい快楽だった。一度味わえば、もう抗えない。野村が加わってからは、棚卸し後の情事は三人で行うようになった。若く張り詰めた野村の肌は熱く、田原とは違う力強さで私を貫く。彼の息遣いが耳元で乱れるたび、私は自分の飢えを思い知らされた。
田原、野村、それぞれと関係を持つまで時間はかからなかった。支配的な田原に隅々まで弄られ、野村に激しく求められる。その時間だけは、現実の虚しさを忘れられた。
代償はあった。ピルを服用していたにもかかわらず、半年ほどで妊娠してしまった。日常が崩れる音がした。
堕胎の日、付き添ってくれた野村の肩で泣き続けた。病院の冷たい待合室で感じたあの痛みと喪失感は、今も胸に重く澱んでいる。夫には言えない。子供たちの笑顔を見るたび、罪の棘が深く刺さる。
一度は二人と距離を置いた。家庭を壊したくなかった。けれど夫は私の異変に気づかず、「お疲れ様」と形だけの言葉を向ける。その無関心に耐えきれず、私は結局「二階」へ戻った。快楽だけが、私を「女」として必要としてくれる唯一の居場所だった。
後藤まいの加入は、私をさらに歪ませた。無垢な彼女を見る田原の目は、かつての私に向けられたものだ。まいを堕とす夜、私は野村との行為を見せつける役を演じた。田原に抱かれる彼女の横で、わざとらしく声を昂らせる。嫉妬が胸を締めつけるほど、快楽は皮肉にも甘く増幅した。
それでも、私は家族との日常を愛している。朝、子供たちを送り出し、夫と微笑み合う時間に嘘はない。聖域と泥沼。二つの世界で揺れながら、私は毎日を繋いでいる。

*

~後藤まい・19歳~
東京の短大への進学。「田原なら安心だ」という父の言葉を頼りに、私は朝日堂の引き戸に手をかけた。店に入った瞬間、暖かな空気と田原の笑顔に安堵し、カウンターの奥にいた野村の静かな瞳に、一瞬で心を射抜かれた。
上京後の毎日は、店に向かう時間が一番の癒しだった。由里子は頼れる姉、田原は父のように頼もしく、野村は憧れの人。野村への恋心が募るほど、地元に残した彼氏への罪悪感が胸を突いた。
あの日、棚卸し後の慰労会に始めて参加した。
銭湯の浴場で由里子と二人きり。 秘部がツルツルなのを見て「脱毛してるんですか?」と由里子に聞くと、「剃ってるの、楽チンだし気持ちいいわよ」と由里子は笑った。私は薄い方だったけど、勧められてその場で剃った。由里子が手伝ってくれ、恥ずかしかったけど嬉しかった。自分の体が変わっていく恥じらいと高揚感。それが、奈落への入り口だった。
慰労会の後、酔った勢いで上がった店の二階。最初に私を抱いたのは、田原だった。執拗な愛撫に頭が白くなり、彼氏しか知らなかった私は、なす術もなく身を委ねた。次に重なった野村の熱は、さらに私を追い詰めた。彼氏への裏切りに泣きそうになりながらも体は反応し、田原と野村が交互に入り、何度も中に出された。避妊具を着けない行為も初めてだったけど、由里子が「魔法のクスリ」と言ってくれたアフターピルを飲んで、少しだけ安心した。
それから棚卸しの夜は、二階へ上がるのが日常になった。野村と二人で肌を重ねる日もあった。彼氏からの電話には「東京は楽しいよ」と嘘を重ねる。けれど、異変は起きた。
生理が来ないのだ。由里子に教わった通りピルを服用していたはずなのに。
授業中も不安が渦巻くが、それでも朝日堂へ向かう足は止められない。
田原の支配、野村への恋、由里子への憧れ。 この歪んだ熱情から抜け出せない私は、もう、あの頃の自分には戻れない。

*

~田原俊夫・49歳~

あれから一年が経った。
朝日堂は、もうない。 シャッターは下り看板は外された。空き店舗のまま埃を被り、あの日々の熱が幻だったかのように思える。
まいは故郷へ帰り、音信不通になった。
生理の遅れを打ち明けられた夜、彼女は膝を抱えて震えていた。検査薬の二本線を見た瞬間、彼女は崩れ落ちた。「ピル飲んでたのに…」彼女は泣きじゃくった。「全部、終わりにしたい」
堕胎の日、また僕が付き添った。冷たい待合室で、まいは僕の手を壊れるほど握りしめていた。手術室へ消える間際、彼女は小さく「野村さん、好きだったよ」と言った。その純粋な響きが、今も僕の胸を刺し続けている。
数週間後、彼女は短大を中退して東京を去った。
由里子は家庭が崩壊した。夫がすべてを知ったのだ。病院の履歴、不自然なピルの存在。夫婦の衝突は絶えず、彼女は子供を連れて家を出た。人づての噂では、結局離婚は避けられなかったという。かつての穏やかな笑顔は、もうどこにもない。
そして僕の手元には、実家に届いた差出人不明の封書がある。 中には二枚のコピー。由里子とまいの堕胎同意書だ。付き添い人として記された僕の名前を、両親は無言で凝視していた。父の顔は青ざめ、母は声を上げずに泣いた。「お前、何をしたんだ…」絞り出すような父の問いに、僕は何も答えられなかった。
その直後、僕は見てしまった。閉店間際の店先で、父と、由里子の夫、そして田原が激しく言い争う姿を。「全部お前のせいだ」父が唸れば、由里子の夫が「あの時のことは終わった話だ」と吐き捨てる。田原は二人を冷ややかに見据え、一言だけ告げた。 「店を閉める」
それだけを言い残し、田原は姿を消した。僕は職を失い、今は小さな工場で働いている。
夜になると、決まって夢を見る。
朝日堂の二階で、みんなが泣いている。まいが膝を抱え、由里子が肩を震わせ、田原が声を殺して泣いている。
そして、知らない女性も泣いていた。
僕はただ、立ち尽くす。誰も慰めることはできず、差し伸べる手も持たない。
目が覚めると、頬が冷たかった。
僕も、あの二階に取り残されたまま、泣き続けている。
みんな、泣いている。

