母乳教師 智春(分冊版4/5)
<第四章>
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悪夢という以外にない一日は、テープに破滅の誓いを吹き込まされた後にもしばらく続いた。相田は、二本の針金で出来たハンガーできつく戒められた乳房を荒々しく弄び、噴き出す母乳と血流の中で凄まじく大量の射精を遂げると、今度は父親の書斎から、父親が趣味で使っているデジタルカメラを持ってきて、江沢と二人で、何度となく智春の惨めな姿を撮影した。
巨大な乳房を拘束され、その先端からダラダラと母乳を撒き散らす、豊満で美しい32歳の人妻教師の姿は、グロテスクなオブジェのようでもあり、また子どもの悪戯で出来た非常に無様で滑稽な粘土細工のようでもあった。
それをご丁寧にも相田は父親のパソコンに落とすと、何枚もプリンターで印刷して、羞恥と後悔とで項垂れるしかない智春の眼前につきつけて、せせら笑い続けた。
「これらのデータは、僕がMOかCD-Rにでも移して、大切に保管します。わかってますね、先生?さっきの誓いの言葉と、このデータがある限り、あなたは一生涯を僕らの玩具で過ごすんです。旦那さんや、息子さんが、変態の妻や母を持ったと後ろ指さされたくなっかたら、僕らの望むことには絶対服従するんですよ。いいですね」
そう相田に念を押されて、智春は漸く相田の家から解放された。その夜は、帰宅した夫の顔をまともにみることは出来ないばかりか、息子に出来た傷をめざとく発見した夫に、虐待の疑いまでかけられて、智春は一人夫婦の寝室ではなく居間のソファに横たわりながら、暗がりの中で声を忍んで泣き続けた。
あの時は、息子を救うためにもああするしかなかったのだと思いながらも、生来誇り高い智春にとって自分の体に加えられた屈辱と、精神的な敗北とに我慢がならなかった。
やるせなさと凄まじい後悔の中で、智春は一睡も出来ずに朝を迎えた。そのまま夫のために朝食を作っていると、優しく包容力のある夫が背後から智春に近寄り、育児で精神的に追い込まれているのならば、息子を実家に預けて、気晴らしにどこかにでかけてはどうかと提案した。
その提案は智春にとって極めて魅力的なものだった。このまま家に居ては、いつまたあの悪童達が忍び込んでくるかわからないという恐怖が智春を捉えていたからだ。だがその一方で、愛するわが子とはもう1秒たりとも離れていたくないという脅迫観念に似た思いがするのもまた確かだった。
結局その日は夫を送り出すと、念入りに戸締まりをして、外気を家の中に入れることすらせずにまんじりとして夫の帰りを待ち続けた。以来、智春は家の中で息子と二人で夫を待つだけの生活を送ることとなった。家の中は、戸締まりを厳重にしたという安堵感とはほど遠く、ちょっとした翳りのある家具の背後やあけはなったドアの後ろ等から、またあの悪童達が姿を現すのではないかという錯覚にとらわれた牢獄のような世界だった。自然、智春の精神は非常に過敏になり、いつも苛立ち怯え、夫もそんな妻の様子を見ては、自分自身に何か悪い部分があるのではないかと、教師という責任の重い職にありながらも、よく仕事を休んで妻の傍らに寄り添うようになっていた。そんな夫の態度は智春にとって有り難いことこの上なかったが、夫は、彼を必要としている多くの子ども達を抱えた存在であった。智春はそのことを強く夫に訴えて、学校を休ませることを止めさせた。夫は不承不承ながら、智春の「子ども達に裏切られたと思われるようなことだけはしないで」という言葉に翻意し、妻の提案を受け入れていたのである。
しかし、そうした夫婦の苦悩など嘲笑うかのように、あの悪夢の一日以来、一月経っても、相田と江沢の姿はついぞ纐纈家の周囲に見出すことは出来なかったのである。
そうなると持ち前の負けん気で、姿を見せぬ少年達に怯えて暮らす自分自身に憤りを感じる智春であった。何より夫にいらぬ心配や迷惑をかけることと、これから夏の季節という乳幼児の汗腺の発達に重要な時期にさしかかっているというのに、何もせずに安穏とした家の中にばかり息子を置きっぱなしというのが、智春には耐えられないことであった。そうして智春は意を決すると、息子をベビーカーに入れて、久しぶりの買い物を楽しもうと、ほぼ一月ぶりに外出することにしたのである。
外はすっかり夏の気配で、照りつける日差しは力強く、かつ小気味いいほどに乾いていた。時折吹き去っていく風には、濃い緑の匂いが入り交じり、智春は思わず肺いっぱいに息を吸い込んで、ここ数週間見せることのなかった、彼女らしい眩しいばかりの朗らかな笑みを浮かべた。
智春の装いも、すっかり夏らしいものだった。流石に体の線を露わにするようなものは着ていなかったが、薄いブルーのシルク素材の半袖と、軽い生地で出来た裾の長いスカートといった装いでベビーカーを押す姿は、どこからどう見ても、さわやかな若妻の風情であった。無論、授乳用のブラジャーの中には、母乳パッドを敷き、母乳漏れに対する防衛手段は最善を尽くしての外出だった。
最寄りの駅までの道すがら、智春は久方ぶりの外気に、心まで躍らせて、快活に歩を運んだ。あっという間に駅に着いた智春は、自分が大分汗をかいていることに気が付いた。だがそこに吹き込んでくる風の心地よさは、汗でべたつく肌を忘れ去ってしまう程の最高の感覚だった。
穏やかな夏の午後である。駅で次の電車を待つ人の数もまばらで、居たとしても、智春のような子連れの女性や、老人たちばかりである。皆一様に、のどかな午後に毒されたように、どこか眠たげなとぼけた表情で電車を待っていた。
ベビーカーの中の息子も、外の空気を満喫しているのか、それとも久しぶりの母親の心地よさげな快活な様子に触れて安心したのか、非常に機嫌がよく、ずっと笑顔のまま、言葉になっていない言葉で、必死に何かを訴えかけている。
こんなにも何事もない平凡な時間が幸せだと感じるとは、つい一月前の智春ならば想像も出来なかったに違いなかった。この世に危険なことは、自分自身が真っ当に生活し、常に用心さえしていれば、何もおこりえないのだという、漫然とした考えは、かつての教え子達によってずたずたに引き裂かれたが、それでもなお、こうした時間が周囲を覆っていれば、ああいう突飛な人種に出くわさない限りは、まだまだ自分や息子は安全で、何事も心配することはないのだという気になってくる。
滑るようにホームに電車が入ってくる。平日の昼間の電車はガラガラで、なんなくベビーカーごと乗り込むと、智春は何気に電車の中を見回してみる。
ふと、横長の座席に座っている詰め襟の学生服を着ている少年と目が合った。
「あら、田尻君じゃない!」
「あ、やっぱり、纐纈先生だ。なんか感じが違うので、別人かな?って思ってましたよ」
少年はかつて智春があの悪童達と共に受け持っていたクラスの一人だった。自分が教えていたときに比べて幾分低くなった声と、目立つようになった喉仏、額に目立つニキビ等が、純粋に智春を驚かせた。あの悪童達のことを思い出すのは苦痛だったが、やはり彼らもまた、ほんの数ヶ月見ていないだけで、目の前の田尻少年のように大人へと確実に変貌していこうとしていた。
