自動演奏

雨音だけが支配する、湿り気の強い午後だった。
「調律、ですか」
男は革鞄を置き、芝居がかった手つきで黒い手袋を外した。
「私の施術は特殊ですよ。貴女を『女』としてではなく、一つの精緻な『楽器』として扱います。音の狂いを指先だけで整える。それゆえ、直接的な結合──挿入は一切行いません」
男は自分の決まり文句に酔っていた。
「挿入しない」という誓約こそが、自分をただの獣と分かつ防波堤であり、同時に女を焦らす最強の武器だと信じていたからだ。
ベッドに横たわる女は、ただ静かに微笑んでいた。
年齢不詳。肌は陶器のように白いが、その奥には血管という名の熱い配線が透けて見える気がした。
「ええ、先生。好きになさって。……私の『音』、狂っているでしょうから」
男は薄く笑い、施術を開始した。
(まずは張りの確認だ)
彼は冷静な手つきで、女の太腿の内側、その深奥にある粘膜へと指を這わせた。
彼の計算では、ここで女は小さく震え、羞恥に頬を染めるはずだった。
だが。
「じゅぷ」
という、下品なほど重たい水音が、静寂を破った。
(……なんだ?)
男の眉がピクリと動く。
まだ前戯どころか、触診の段階だ。それなのに、女の秘所は既に、腐った果実のように熟れきり、蜜を溢れさせている。
指先に伝わる温度が異常だった。熱いのではない。「焼ける」ようだ。熱が指にまとわりつくのではない。熱が指を縛り上げてくる。
「……感度が、良すぎるようですね」
男は動揺を隠し、声をかけた。
「少し、出力を絞りましょう」
彼は指の動きを変えた。興奮を鎮めるための、緩やかで冷淡なリズム。
それが彼の技術だった。
しかし、女はあざ笑うかのように腰を浮かせた。
「あら、先生。……音が小さいわ」
女の筋肉が、男の指を「噛んだ」。
「っ……!?」
膣口が収縮し、男の人差し指を根本まで飲み込み、逃さないと言わんばかりに締め付ける。
熱と圧力が男の神経に閾値以上の刺激を与えた。
男は反射的に指を抜こうとした。しかし、抜くことは叶わない。
内壁が溶岩のようにうねり、指の指紋一つ一つに入り込み焼く。
それは楽器の調整などではない。煮えたぎる血の池への転落だ。
「先生、そこじゃないの」
女の吐息が、熱風となって男の耳朶を焼く。
「もっと深い音。……出せるでしょう?」
男の背中を、嫌な汗が伝い落ちた。
主導権(タクト)が、いつの間にか奪われている。
指先から脳へ、強烈な熱が逆流してきた。
(なんだこの力は。指が溶ける。理性がショートする)
「ま、待ってください。私の流儀では……」
「流儀?」
女は妖艶に目を細め、濡れた瞳で男を見上げた。
「ピアノが弾き手を求めているのに? ……ピアニストが逃げるの?」
ドクン、と男の股間が脈打った。
「不能の美学」などという薄っぺらい鎧は、女の圧倒的な「質量」の前で紙切れのように引き裂かれた。
指だけでは足りない。
この底なしの空洞を埋めなければ、自分が食い殺される。
「く、うぅ……!」
男は喘いだ。女ではなく、男が喘いでいた。
額から脂汗が吹き出し、整えていた白髪が乱れる。
したり顔で語っていた能書きはすべて消え失せ、そこにはただ、本能に火をつけられた哀れな雄が一匹、震えているだけだった。
「いい子ね。……演奏(して)、先生」
女が太腿を大きく開き、男の腰を引き寄せた瞬間。
男は獣のような唸り声を上げ、自らの誓いを破り捨てて、その血の池へと飛び込んだ。
――そこからは、地獄のような狂宴だった。
「調律」などという生易しいものではない。
男は、女という巨大な秩序に接続され、強制的に往復運動をさせられる部品に成り下がっていた。
男が絶叫し、果てる。それでも女は許さない。締め付け、吸い上げ、男の髄液まで搾り取ろうとする。
永遠に続くかと思われた自動演奏が終わった。
部屋には、生臭い体液の臭いと、男の荒い呼吸音だけが残されている。
男は廃人のように白目を剥き、泥のように布団に沈む。
矜持も、美学も、すべてが白い液と共に吐き出されていた。
女はゆっくりと身を起こし、乱れた髪を指で梳いた。
その肌は、施術前よりも艶やかに輝いている。
「……お粗末さま」
女は冷めた目で、肉塊となった男を見下ろした。
「やっぱり、安物の調律師じゃ直せないわね。
――私のほうが、よっぽど貴方を『いい音』で鳴らせたと思わない?」
女は男の耳元でそう囁くと、全裸のまま優雅に足音を立てて、部屋を出て行った。
残されたのは、調律(こわ)された男だけだった。

