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自由恋愛

「2027年4月より、自由恋愛政策を導入します」

 

担当大臣が宣言した。

 

「自由恋愛とは、恋愛を自由にできることです」

 

フラッシュが光る。

 

「子どもが減っているのなら、

 そのきっかけを政府がサポートします」

 

政策のベースには、日本に昔から存在していた、曖昧さを見て見ぬふりする建前の文化があった。

お座敷遊び、大阪のとある料亭、キャバクラ、メンズエステに至るまで、形は違えど、そこには接客という言葉だけでは説明しきれない世界があった。

誰もそれを恋愛とは呼ばないが、単なる接客とも言い切れない。互いに分かっていても口にはしない。

行政は長年その建前を黙認してきたが、少子化が深刻化するにつれ、その建前を活用できないかという議論が始まった。

 

そうして生まれたのが、自由恋愛政策だった。

 

ルールは単純だった。

認可施設内の個室に男女二人が入った時点で、それは自由恋愛として扱われる。契約も交際の約束も必要なく、施設は自由恋愛の場だけを提供する。そこで何が起きるかは当事者の自由であり、行政は介入しない。

認可施設とは言うものの、新たな施設を建設する必要はなかった。既存の店舗が申請し、行政は建前の調査と審査を行う。そして、発行されたピンクのハート型ステッカーを入口に貼るだけでよい。

発表当初は批判もあった。恋愛を行政が定義するのかという声もあれば、結局は性産業を別の名前で呼んでいるだけではないかという意見もあった。

しかし、それらの議論は長く続かなかった。

認可を受けた店舗は独自のサービスを打ち出すようになり、自由恋愛は想像以上の速さで浸透していった。半年後には、ピンクのハート型ステッカーは街で当たり前に見かけるようになっていた。

情報誌には特集が組まれ、テレビでは利用者へのインタビューが繰り返し放送されていた。

 

「緊張しましたけど、思ったより普通でした」

「出会いが増えましたね」

「もっと早く始めればよかったと思います」

 

誰も深刻な顔はしておらず、むしろ少し得意げに見えた。政策への賛否は残っていたが、利用者は確実に増えていた。

 

ー・ー・ー・ー・ー・-・-・-・-・-

 

俺が最初に訪れたのもその頃で、11月ごろだったと思う。きっかけは職場の同僚の一言だった。

 

「一回くらい行ってみろよ。面白いから」

 

当時の俺はニュースで政策の存在を知ってはいたものの、自分には関係のない話だと思っていた。

 

同僚に何度か誘われるうちに興味が湧いてきたし、ちょうど髪も伸びていたので、駅前の美容院を予約した。

 

ドアには例のステッカーが貼られていた。店内は普通の美容院と変わらなかった。受付を済ませると個室へ案内された。

 

少し緊張していたのを覚えている。

 

やがて女性美容師がやって来た。

「今日はどうされますか」

 

「少し短めで」

 

そんな普通の会話から始まったはずだ。何を話したかは覚えていないが、気づけば時間が過ぎていた。

 

別れ際、女性は微笑んだ。

 

「楽しかったです」

 

「俺もです」

 

自然に答えていた。

 

帰宅したあとも彼女の「楽しかったです」という言葉を反芻していた。

 

ー・ー・ー・ー・ー・-・-・-・-・-

 

数日後、同僚と飲みに行き、その話をすると、呆れた顔をした。

 

「それで?」

 

「それでって?」

 

「いや、その後だよ」

 

意味が分からなかった。

 

「その後って何が」

 

同僚は少し黙ったあと、小さく笑った。

 

「お前、マジで髪切って喋って帰っただけか?」

 

「それ以外に何があるんだよ」

 

同僚は呆れたように肩をすくめた。

 

「いや、別に間違ってないけどさ」

 

ビールを一口飲む。

 

「自由恋愛って、そういうことじゃないだろ」

 

俺は返事に困った。

 

「今度は駅の向こう側の居酒屋でも行ってみろよ」

 

「何が違うんだよ」

 

同僚は笑った。

「ま、酒の力を借りろってことだよ」

 

ー・ー・ー・ー・ー・-・-・-・-・-

 

年が明け、暖かくなり始めた頃、俺は同僚に勧められた居酒屋に行ってみた。個室に入ると、そこにはベッドが置かれていた。少し驚いたが、同僚の言っていた意味が分かった気がした。しばらくして店員の女性が入ってきた。

「私、もう上がりなんですけど、ここで飲んでもいいですか?」

「あぁ…はい」

「ありがとうございます」

そう言って彼女はエプロンを外してベッドに腰を下ろした。

彼女はハイボール、俺はビールを飲んだ。最初こそ緊張したが、気づけば1杯目は空になっていた。会話は自然に続き、映画の趣味も似ていたし、笑うタイミングまで同じだった。自然と2人の距離は近づいていた。

「あー笑った。暑くなってきちゃった」

そう言って彼女は上着を脱いだ。何を求められているか分かっているはずなのに、体が動かなかった。わずかな沈黙の後、彼女が言った。

「…こっち、来ないんですか?」

 

ー・ー・ー・ー・ー・-・-・-・-・-

 

ー・ー・ー・ー・ー・-・-・-・-・-

 

目を覚ましたときには、窓の外が白くなっていた。彼女はもう起きていた。

特に気まずさはなかった。ただ、昨日と同じ顔をしているのに、違う人のような気がした。

声をかけるタイミングを逃した気がして、ジョッキに少し残った昨日のビールを見ていた。

 

彼女は髪を整えながら言った。

 

「また、会えるといいですね」

 

なぜか、そのまま終わってしまうような気がした。

 

「また…会えますか?」

 

彼女は小さくうなずいた。

 

「そうですね…自由恋愛ですから」

 

彼女と会うことはなかったが、俺は自由恋愛という言葉が好きになっていった。

また会えるかもしれないし、もう会えないかもしれない。それでも、あの夜の出来事がなくなるわけではない。俺はそんな曖昧さが嫌いではなかった。

 

ー・ー・ー・ー・ー・-・-・-・-・-

 

最初は物珍しさで行ったはずだったが、いつしかステッカーのある店へ通うようになっていた。

誰かを好きになれる気がして店に行くこともあったが、仕事の愚痴を聞いてもらったり、朝まで映画の話をしたり、ただ食事をして別れただけの日もあった。

それが当たり前の日常になっていた。

 

政策開始から5年が過ぎる頃には、自由恋愛政策は成功事例として語られるようになっていた。

施設で出会い結婚した夫婦は「自由恋愛婚」と呼ばれるようになり、出生率は改善傾向を示していた。

最初に俺を誘った同僚も、数年後には自由恋愛で知り合った女性と結婚したらしい。

 

「お前もそろそろ落ち着けよ」

 

飲み会でそう言われたこともあったが、俺は笑って流した。

 

依然として賛否はあった。それでも10年目を迎える頃には、自由恋愛政策はすっかり社会に溶け込んでいた。

 

そして、あの封筒が届いた。

 

ー・ー・ー・ー・ー・-・-・-・-・-

 

差出人は市役所だった。税金か何かの事務的なものだろうと思い、何気なく封を切った。

 

【認知候補者選定通知】

 

意味が分からなかった。書類には数名の児童の氏名が記載されていたが、そのどれにも見覚えはなかった。

 

翌日、俺は通知書を持って市役所へ向かった。窓口で書類を差し出すと、職員は内容を確認し、静かにうなずいた。

「はい。こちらですね」

 

「いや、こちらですねじゃなくて」

 

俺は通知書を指差した。

 

「これ、間違いじゃないですか?」

 

職員は首を振った。

 

「いいえ、間違いではありません」

 

「だって知らない名前ですよ」

 

「そうでしょうね」

 

あまりにも当然のように言われ、俺は声を荒らげた。

 

「だったら俺の子かどうか分からないでしょ」

 

職員は小さく何度かうなずいた。

少し安心した。自分の子ではない可能性を認めるのなら、それで話は終わりのはずだった。職員は続けた。

 

「ただ、お相手の女性はあなたのお名前を候補者として申告しています」

 

「候補者?」

 

職員は落ち着いた声で答えた。

 

「はい。児童の母親から申告がありましたので」

 

「だからって…」

 

職員の声は穏やかだった。

 

「では、その子はあなたの子ではないんですか?」

 

答えられなかった。

 

誰と出会い、誰と別れたのか、その輪郭はすでに曖昧になっていた。思い出そうとすればするほど、記憶は指の隙間からこぼれていった。

 

職員は通知書を俺の前へ押し戻した。

 

そこにはこう書かれていた。

 

【認知候補者として選定されました。】

 

職員は窓の外へ目を向けた。つられて視線を向けた。

広場では子供たちが走り回っていた。笑い声が響き、転んで泣く子供を大人が抱き上げている。確かに子供は増えていた。

数年前とは比べものにならないほどに。

 

あの中に俺の子がいるのかもしれない。

 

ー・・ー・・ー・・ー・・ー・・-・・-

 

私が勤めていた美容院が認可を受けたのは政策が始まってから数ヶ月後だった。最初は戸惑っていたが、店の入口にはピンクのハート型ステッカーが貼られた。店のみんなは笑っていた。私も笑っていた。

客は増えて、たくさんの人と出会ったし、正直名前なんてほとんど覚えていない。みんな違うけど、結局みんな同じだった。でも1人だけ覚えている人がいた。変な人だった。

 

その人は個室を選んだのに、本当に髪を切って少し話して帰った。

 

美容院は翌年の3月で辞めて、私は居酒屋でバイトを始めた。給料が良かったから。そこで彼と再会した。私は気付いたけど、彼は気付いてなさそうだったし、偶然だったんだと思う。

 

美容院の時と変わらず、奥手だった。

私はハイボールを飲み干して、言った。

 

「…こっち、来ないんですか?」

 

そう聞いた時、彼は本当に困った顔をした。あんな顔をする人は珍しかった。

 

その夜は、なぜか寝付けなかった。

 

窓の外がうっすら明るくなってきたのでベッドから降りて水を飲んだ。ひと息ついて、散らかった部屋の中からようやく自分の服を探した。

鏡の前に座ったところで彼が目を覚ました。寝起きでぼーっとしている彼を見て、私はぐしゃぐしゃに乱れた髪をゆっくり整えながら言った。

 

「また、会えるといいですね」

 

「また…会えますか?」

 

そんなこと言う人はいなかった。少し愛おしくて、意地悪したくなった。

 

「そうですね…自由恋愛ですから」

 

あれから彼には会えていない。

 

ー・・ー・・ー・・ー・・ー・・-・・-

今、私は市役所で書類を前にしている。

 

【認知候補者記入欄】

 

「こちらに、お子様の父親と認知するか確認する方のお名前をお書きください」

 

空欄がいくつも並んでいる。馬鹿らしい。

でも、誰が父親なのかわからなかった。それでも彼の名前が浮かんだ。ただ、確信なんてない。他に候補がいないわけでもなかった。

それでも私は彼の名前を書いた。

たぶん、彼なら逃げないと思った。

 

テレビでは、もうすぐ始まる政府の記者会見を特集したワイドショーが流れていた。自由恋愛政策反対派の芸人の正論が、チクチク刺さる。

 

彼の名前を書き終えたあと、不意に笑ってしまった。

利用しようとしているだけなのかもしれない。

それとも…

 

ま、これも、自由恋愛…ですか。

 

ーーーーーーーーーー-ー-ー-ー-ー-

 

自由恋愛政策十周年記念会見

 

「認知制度については課題も指摘されていますが」

記者の質問に対して、担当大臣は穏やかに微笑んだ。

「もちろん課題はあります」

フラッシュが光る。

「しかし、出生率は改善し、子どもは増えましたし、社会はこの変化を受け入れています」

 

「私たちは、新しい家族の形を社会に定着させることに成功しました」

 

クリエイターのプロフィール
💡記事購入前に出勤日がわかるツール開発しました。是非活用してください。大阪の40代の医療従事者。5年選手。直接的な表現は避けていますが、推せない人は紹介しておりませんので、察していただけますと…。📢一部、共同出品記事もあります。該当記事には、記事内にも明記しています。
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