華やかな光の裏側

都心の真ん中にそびえるガラス張りのテレビ局本社ビル。春の陽射しを反射して、まるで巨大な舞台装置のように輝いていた。
結城ひとみは、そのロビーの片隅で深呼吸をした。
(ここが、私が夢見た場所——)
ミスコン女王の肩書き、女子アナ志望、そして念願叶って大手局に入社。夢を現実にしたはずだったが、胸の奥に小さな不安が棲みついている。
(胸の奥がざわつく。私、本当にやっていけるのかな…)
アナウンス室に入ると、先輩アナウンサーの大村大樹が立っていた。三十代半ば、視聴率の取れる番組を任される局の顔だ。今日から彼が研修担当、つまり教育係になる。
「結城、まずは服装チェックからだな。報道姿勢は見た目からだ」
鋭い視線が上下を走る。ネクタイを締め直す仕草ひとつにも圧がある。アナウンス室の空気が一瞬で張りつめ、周囲の新人女子アナたちは目を伏せた。
(ここで怯んだら終わり。笑顔、笑顔…)
ひとみは唇を結び、鏡のように整った笑顔で「はい」と答えた。
研修の日々は、思い描いた華やかさとは正反対だった。エレベーターの中、取材に向かう車の中、時間も場所も選ばず飛んでくる先輩たちの小言や圧迫指導。服装や髪型、発声法、言葉づかい…注意は容赦ない。教育という名のもと、セクハラ三昧、パワハラも見て見ぬふりをされる、エレベーターの中では平気で壁ドンをしてくる
(これが“現実”か。好きでもない男の壁ドンほど嫌なものはない、夢の裏側はこんなに息苦しいんだ)
なかでも大村のチェックは突出していた。「もっと笑顔で」「もっと色気を」そんな要求を冗談めかして繰り返す。
(色気って、あなたの好みのおしつけで露出を求めてくるのはやめて欲しい、ミスコンの時もそうだったけど男って本当になんでこうなの)
少々のセクハラや、やりたいだけの男の対応は大学時代のミスコンで嫌というほど経験した、それを思い出し、表情筋を崩さずかわす術を磨いた。
そんなある日、ひとみは同期の千夏から耳打ちされた。
「大村さん、飲みの席で気をつけたほうがいいよ。酔わせて距離を詰めるの、得意だから、私も・・」
涙で一杯でそれ以上は話せなくなった千夏の姿に、
心臓が小さく跳ねた。
(やっぱり噂は本当なんだ。夢をかなえたはずなのに、どうして怖い思いをしなきゃいけないの…)
その週末、局内の懇親会が開かれる。大村も当然参加する。ひとみは出発前、ポケットに小さなボイスレコーダーを忍ばせた。
(守るのは自分。私が声を上げなければ、何も変わらない)
自分の夢を守るためには、自分を守るしかない——その覚悟だった。
夜の居酒屋。個室のテーブルに料理と酒が並び、大村は笑顔でグラスを掲げた。
「結城、君は将来有望だ。俺の番組、出てみないか?」
「光栄です」
グラスを受け取るふりをして、ひとみはそっと手元の飲み物を替えた。別の同期が用意してくれたノンアルコールだ。
(簡単には酔わされない。私は“狩られる側”じゃない)
しかし、大村は彼女のグラスに何度も酒を注ごうとする。ひとみは自然な笑顔でかわし続けるも次第に数杯は口にすることになった。
やがて大村は個室の奥に彼女を呼んだ。
「もっと話そう。番組のこと、君の夢のこと」
その声には甘さと圧が混じっていた。ひとみはレコーダーのスイッチを押しながら席を立った。
(怖い。足が震える。でも、ここで逃げたらずっと何も変わらない)
奥の小部屋で、大村は声をひそめた。
「君さえその気なら、すぐにでもキャスターにしてやるよ」
手を握り肩を抱きかかえてくる、手の甲が胸に触れてくる。
「かなり大きなおっぱいしてるよね、ミスコンの時の写真みたよ、実物を見せてよ。」
(やっぱり…これが“条件”なんだ)
大村の手のひらが胸を強引に揉み、同時にキスを迫ってきた。
ひとみは息を整え、手を払いのけ、相手の目をまっすぐに見返した。
「ありがとうございます。でも、正式な人事は上司を通して決まることですよね。私は仕事の成果で認められたいです」
(言えた。震えが止まらないけど、今ここで言えた)
大村は一瞬、笑顔を引きつらせた。その隙に、ひとみは携帯を取り出し、事前に待機していた報道部の先輩に通話をつないだ。廊下の向こうからドアを開ける音がし、複数の社員が入ってきた。
空気が凍りついた。
「大村さん、ここで何を?」
先輩が問いただす声に、大村は言葉を失った。ひとみは震える指でレコーダーを握りしめる。同期の千夏がそっと肩に手を置いた。
(終わった。私、やり遂げた…?)
翌週、局内で調査委員会が立ち上がった。匿名の証言、録音データ、複数の被害報告が集まり、アナウンス室の長年の体質が明るみに出る。
千夏は耳を疑うような相当な被害を受けていた。
ひとみは事情聴取を受けながら、胸の奥にようやく空気が流れ込むのを感じた。
(怖かった。でも、声を上げてよかった。これで誰かが救われるなら…)
その数か月後、ひとみは夕方の情報番組のサブキャスターに抜擢された。大村は別部署に異動となった。
スタジオのライトがまぶしく照らす中、ひとみはカメラを見つめる。画面越しの笑顔は、もう“飾り”ではなかった。自分で選び取った場所、自分の声で立つ舞台だ。
(ここからが本当のスタート。もう誰にも奪わせない)
放送後、控室に戻ったひとみに千夏が笑顔で駆け寄った。
「ひとみ、本番お疲れ! すっかりキャスターの顔だね」
「ありがとう。まだ始まったばかりだけど」
(夢を叶えた先に、本当の戦いがあった。でも私は、ここまで来られた)
窓の外、都心のビル群に夕日が差していた。ガラス張りの局舎が金色に輝く。その光は、かつて夢見たきらびやかさよりもずっと力強く、清らかに見えた。
(もう迷わない。私は私の声で、この世界を変えていく)
ひとみは深く息を吸った。あの恐怖の夜を越えて、ここまで来たのだ。これからも、報道の世界で真実を伝えるために——。
